ギャンブルにまつわるお話

伝説の日本人ギャンブラー!柏木昭雄

なすぎつね

柏木昭男(かしわぎ あきお)

  •  生誕 1937年山梨県富士吉田市生まれ
  •  職業 不動産投資家
  •  家族構成 妻と3人の子供

日本人whale(鯨)と呼ばれた男

カジノ業界で大金を賭けて勝負に挑む大物プレイヤーをそう呼んでおり、柏木氏もその1人です。1回の勝負に$20万(約3000万円)張るなど常人ではあり得ないギャンブラーの生き様を生い立ちから掘り下げて行きたいと思います。

 

生い立ち〜経歴

1937年山梨県富士吉田市に生まれ、中学卒業後は高校に進学せずに農業を手伝ったり、富士山を登る登山客の荷物を運び、道案内をする過酷な仕事をしていました。

仕事に精を出し、お金を貯めて飲食店をオープンさせるところから勢いに乗り、1969年には不動産業と貸金業を始めて「柏木商事」を設立しました。

この時の柏木氏の年齢が32歳というのも驚きです。若い時から野心家だったのでしょう。

その後も勢いはとどまることを知らず「山梨の不動産王」と呼ばれるまでその名を轟かせました。

河口湖を見渡す400坪の土地に建てた総ケヤキ造りの豪邸は「柏木御殿」と地元で呼ばれていました。

観光客などは高い白壁で囲われた邸宅を見て寺院と勘違いするほど豪邸だったそうです。

東京進出も行い、順風満帆に見える人生ですが柏木氏の評判は決していいものではありませんでした。

文京区の地上げの際に最後まで土地の売却に抵抗した小売店の店主の私道を塞ぐ嫌がらせを行い、民事提訴に発展したり!

神奈川県にある私立保育園の土地と建物を競売で勝ち取り、園児が通っているにも関わらず建物の差し押さえを行うなど強引過ぎる手法に血も涙もないと批判を浴びていたそうです。

典型的なワンマン社長ではあり、批判やトラブルが絶えない経営方針ではありましたが、

何はともあれ、【山梨の不動産王】と呼ばれるほど柏木氏の名は広まっていったのです。

のちに柏木氏がカジノにハマり出したのが1970年頃と言われています。

元々ギャンブルが好きだった柏木氏、カジノ魅力にどっぷり浸かっていくまで時間はかかりませんでした。

1980年代になると時間を作っては毎月のようにカジノに出かける様になり、事業で儲けたお金をカジノに注ぎ込んでいたそうです。

その中でも柏木氏が大好きだったトランプゲームがバカラです。ゲーム性は至ってシンプルですがカジノの王様と言われるほど大人気のゲームです。

(プレイヤー)(バンカー)と2択の内どちらの合計数字が【9】に近いか予想をして賭けを行い、時間にして数分で勝敗が決まります。単純ですがシンプルで飽きさせないゲーム性です。

カジノ業界で柏木氏の名が広まるのに時間はかかりませんでした。

「1勝負に$10万〜20万(約1500万円〜3000万円賭ける日本人プレイヤーが現れた!!」

1990年オーストラリアにあるダーウィンのカジノに4日間滞在し、バカラで約29億円の大勝利をおさめたのです。

カジノ側からVIP扱いされるようになり渡航費、旅費、食事代などを全て負担してもらい様々なVIP待遇を受けるようになりました。

大勝利をおさめた数ヶ月後、柏木氏はある人物と面会を行いました。

今でこそ有名人ですが、元アメリカ大統領の肩書を持つドナルド・トランプ氏です。

(smart-flash より引用)

当時はアメリカの不動産王でニュージャージー州のアトランティック・シティーにトランプ・カジノを所有しているカジノオーナーでした。

(AFLO より引用)

面会した理由は「是非うちのカジノに来て遊んでほしい」というもので柏木氏はそれを承諾し、トランプカジノに招待されたのです。

トランプ氏が運営するトランプ・カジノは1980年頃より利益が伸びず、1990年には多額の負債を抱えていたそうです。

柏木氏を招待した理由として大物プレイヤーを自分のカジノに引き込みたいのもありますが、有名な柏木氏に来てもらい話題作りを狙ったのかも知れません。

のちに招待を受けた柏木氏はトランプ・カジノの2日間滞在し、得意のバカラで一度の勝負に$25万(約4000万円)を賭けるなどwhaleの名に恥じない戦いを繰り広げました。

結果!$600万(約9億円)の大勝利をおさめたのです。

話題作りの宣伝費としてはあまりに高額な上、負けず嫌いのトランプ氏が許すわけもなく、3ヶ月後の5月に再び柏木氏をカジノに招待しました。

柏木氏はこの勝負を受けることを承諾し、用意したチップ(軍資金)は1200万ドル(当時レートで約18億円)もの莫大な金額です。

さらに今回の勝負では、トランプ氏からある条件が出されていました!

「その軍資金(約16億円)が2倍になるか!すべてを失うまで勝負を続けてくれ」

まさに生きるか死ぬかのギャンブルです!

そして当日!皆が注目するなか勝負が始まりました。

出だしは柏木氏が925万ドル(約14億円)まで資金を増やす展開でしたが、最初に決めた取り決めに従い連日勝負は続きました!

展開は日を追うごとに変化していき、最終的にトランプ氏が勝利する結果となりました。

最終的な柏木氏の負け額は約1000万ドル(約15億超)となり、次の日のウォールストリートジャーナルには「世界で最も派手なギャンブラーと紙面に掲載されました。

トランプ氏は「ミスターカシワギは実にギャンブルのプロだ!私は敬意を払います」と言ってのけたそうだ!

だが、ギャンブル業界で名前を出すこと自体タブーであり、禁忌を破る行為であるのだ!

公に名を出すことを極端に嫌う柏木氏にリベンジさせず、勝ち逃げする為にやった行為だったかも知れないと報じられた。

アメリカの週刊誌(ニュース・エクストラ)にて柏木氏はこう言っている。

『これはトランプの勝算と私の運の勝負だが私が勝つよ!なぜなら私の心は純粋できれいだからね。トランプは今までに悪いことをしすぎている』

だが柏木氏のリベンジはその後叶う事はなかった。

トランプに負けた後も北米やアジア太平洋地区のカジノに頻繁に出入りする姿が目撃されているそうですが、負けは続き多額の負債を抱えるほどになっていたそうです。

そして2年後の「1992年1月3日」事件は起きたのだ。

家族はいちご狩りに出かけていたが風邪気味だった柏木氏は1人、家に残っていたそうだ。

21時ごろ自宅に帰宅後、20畳の広さの台所が血の海になっており、柏木氏が倒れていたのだ。

(smart-flash より引用)

居間で襲われ、刃物で首や胸など10数ヶ所を刺されて台所まで逃れて出血死。

犯人捜索にて1ヶ月後、暴力団幹部とその知人女性を逮捕したが証拠不十分の為釈放!

犯人はその後、見つからないまま2007年に時効を迎える形で幕を閉じた。

色々な噂はあるが、柏木氏が殺された時にアメリカのカジノに900万ドル(約13億5000万円)の借金があったことなど恨みを持つ人は沢山いたのだろう。

事件の真相は闇の中だがギャンブラーの歴史に名を刻んだことは間違いないだろう。

 

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