プロ野球選手史上最悪の事件!小川博

(スポニチより引用)
小川博 (おがわ ひろし)
- 生誕 1962年 4月2日生まれ
- 職業 プロ野球選手
- 家族構成 離婚経験有 子供は計3人
プロ野球選手という輝かしい功績から一転
プロになっても一握りの選手しかドリームを掴めない厳しい世界のプロ野球選手!努力の甲斐もあり順風満帆に見えた人生だったがどこで歯車が狂ってしまったのか?小川博の人生を掘り下げてみよう!
生い立ち〜プロ入り前
栃木県足利市に生まれ、1歳の時に子供に恵まれなかった群馬県在住の夫婦の養子になりました。
養子になった経緯は不明だが我が子のように愛情をかけられ大切に育てられたそうだ。
1978年に群馬県立前橋工業高校に入学し、1年の秋からエースとして抜擢、同校を3度の甲子園に導き、「群馬の玉三郎」と呼ばれるようになりその名を轟かせていた。
甲子園で6戦のうち2年の夏初戦を除く5戦で先発を務めた右サイドスロー投手の小川氏は実力だけでなく、甘いマスクも相まって甲子園のアイドルとなっていた。
(JIJI.com より引用)
女性ファンは特に多く出待ちが連日続き、ファンレターも後が立たなかったという。
高校卒業後は青山学院大学へ入学し、そこでも小川氏は活躍した。
4年生の春より2部リーグに停滞していた同部を1部リーグに復帰させるなど、弱かった青学野球部を有名にしたのは小川のお陰と言われるほどだった。
プロ入り〜
1984年にロッテ・オリオンズ(千葉ロッテマリーンズ)にドラフト2位指名を受け、プロ入りを果たしたのです。
当初、両親は小川氏がプロ野球選手になることを反対したそうですが、「自分の力を試してみたい」と反対を押し切ったそうです。
1985年、背番号26を背負い開幕第3戦に先発として起用されました。後、先発2試合を含め21試合に登板し2勝を挙げる成績でした。
2年目は6登板しか投げることが出来ず、0勝という成績で終えたが1987年には40試合に登板し3勝5敗(防御率3.28)という成績を残した。
1988年には31試合に登板し10勝9敗(防御率3.40)を残し、両リーグ最多204奪三振を記録した。
人気も相まってオールスターにも選出され5者連続奪三振を記録するなど主力選手級の活躍をみせた。
同年オフには推定年俸2,200万円の契約更新を行うなどスターの階段を登り始めていた。
高級外車ポルシェの購入や銀座、六本木の高級クラブなどで豪遊する姿も目立つようになった。
引用:https://chocolat.work/tokyo/a_112/shop/101271/
1989年も開幕からローテーションの一角を担い、奮闘するも5月下旬より右肩を痛めてしまい、8月より復帰したが成績は0勝5敗(防御率7.26)と不調に悩まされていた。
その後も大きく成績を上げることが出来ず1991年に再び右肩を痛めてしまい1992年1軍登板もなくなり、11月27日付で現役を引退した。
プロ引退後
引退後は1999年までトレーニングコーチとして務め、95年、98年には1軍も担当するなどチームの戦力アップに貢献した。
しかし裏では現役時代の金遣いの荒さは治っておらず浪費癖に加え、遊興費やギャンブルなど入ってくる以上のお金を浪費していた。
金銭感覚が戻らない小川氏は友人や知人にお金を借りてまで見栄を張り、そのお金で奢るなどしていたようだ。
その金遣いの荒さに嫌気がさした妻から離婚を言い渡され離婚が成立。
それでも皆に褒められ、尊敬される優越感が何よりも快感だった小川氏は自分を制御することが出来なかったそうだ。
返済しようにも返済するお金が手元に無い為、選手や球団関係者にも借金し、最終的に闇金にまで手を出してしまっていた。
2000年から編集担当の球団職員を務めていたが2002年突然解雇された。
表向きには公表されなかったが、多くの関係者にお金を借りていたことが広まり、借金返済の催促が球団にも届くなど、金遣いの荒さが原因で球界を退く形となったのだ。
家計が追い詰められている小川氏は翌月である12月より宅配物の仕分ける時給1,000円弱の深夜バイトも始めた。
その後、2003年1月に求人広告に載っていた埼玉県上尾市の産業廃棄物処理会社に応募し、面接を行った。
その際、「華やかなプロ野球選手にはこの仕事は向いてないよ」と言われたが小川氏の熱意もあり、営業部長として務める形になった。
のちに会社の会長に小川の印象を尋ねると「がっしりとしていて真面目そうに見えた」と言っている。
会長が小川氏に対して「営業はすべて任せますよ」と言っていたほど熱い信頼を得ていたそうだ。
会長の期待に応えるべく一生懸命に働いたが借金返済の目処が立たず、借金額は1,750万円まで膨らんでしまっていた。
どうすることも出来ず、自己破産手続きを行うことで借金返済からは逃れたが、お金を借りた知人や友人達は呆れ果て小川の元から離れていった。
一からスタートだが「もう督促に追われなくて済む」と安堵に包まれ再起を誓い、半年後の10月に再婚して2人の子供にも恵まれた。
小川家族をよく見かける近所の人からはいつも笑顔で評判も良かったそうだ。
しかし、小川氏の浪費癖は治っておらず会社の飲み会やギャンブルなどに散財していた。
給料は40万貰っていたが有ればあるほど使い果たし、再び闇金に手を染めてしまう形となってしまっていた。
現役時代の金銭感覚が未だに治らず、プライドも高い為、お金がある振りをして後輩達に奢ってしまうなど、「このままではダメだ」と分かっていてもやめる事が出来なかったのだ。
身勝手でわがままばかりの人生だった
ー周りの人に良いかっこばかり見せていた
ーどこかでプライドを捨て切れなかった
ーこれで(前妻の子を含め)3人の子供を捨てたことになってしまいました。私はバカな男です。母さん、長生きしてこのバカな男が帰るのを待っていて下さいますか。
(のちに小川氏が出した手紙の内容)
闇金の利息3万円を返済する為にまた別の闇金業者から10万円借りるがパチンコで増やそうとし使い果たすなど、どうにもならない状況だった。
闇金の高利息で借金はみるみる増えてしまい会社に前借りを頼んだり、同僚に借金するなどして返済していたがこの時に闇金の借金総額は利息を含め約180万円まで膨らんでいた。
そして2004年11月18日の夕方、闇金から借りた3万円の返済期限が午後7時に迫っていた。
借りたくても借りるところも無く折半切羽詰まる状況で午後6時30分(返済期限まであと30分)会社の会長宅へ訪れたのだ。
会長は留守で代わりに対応したのが住み込みで働いている家政婦の女性だった。
小川氏は必死に「お金を貸して下さい」と土下座で何度も頼んだそうだ。
しかし家政婦はお金を貸す事を拒否したそうだ。
以前から会長宅が荒らされていたり、社員寮から50万円が盗まれる事件が相次いでおり、状況的に社内の人間だろうと考えられており、小川も疑われていたそうだ。
それでも土下座して何度も頼み込んだが、家政婦は断固としてお金を貸すことを拒否したそうだ。
ここまでして全く相手にされなかったことに激怒し、家政婦の喉に手をかけて突き飛ばし気絶させた。
小川氏はそのまま2階にあった会社の現金175万の封筒も強奪し、返済期限が迫っていたが事件の発覚を恐れ気絶した家政婦を車に乗せた。
約3キロほど離れた桶川市内の旧荒川に向い、移動中意識が戻ることを恐れ、家政婦の頭や顔を赤紫色になるまで殴り続けたそうだ。
日が暮れると人の気配が少ない場所に到着し「ここならバレない」そう思った小川氏は、息がまだある家政婦を無惨にも川に投げ込み現場から立ち去った。
奪った現金で上尾市内にある闇金業者に十数万円を返済し、次の日何食わぬ顔で出社したのだ。
奪った残金の使い道はパチンコなどのギャンブルだったそうだ。
事件から2日後の11月20日午後2時頃、川で釣りをしていた男性から通報があり、家政婦が発覚される形となった。
顔や頭に酷く殴られた跡があることから殺人事件として判断し、会長宅の玄関ドアが外部から無理やり侵入した痕跡がない事から身近な人物の犯行として捜査された。
近所での聞き取り調査にて同じ時間に高齢女性を車に運び込む大柄な男性が目撃されていたことや車両なども特定。
各情報から小川氏が容疑者として浮上し、事件から1ヶ月後の12月21日の朝にさいたま市の自宅で出勤支度をしていたところで任意同行を求められた。
最初は容疑を否認するも各証拠を提示され、車に残っていた血痕を発見された事で観念した表情を浮かべたそうだ。
何も知らなかった家族の前から小川氏は連れていかれた。勿論闇金などの借金も後に聞かされたそうだ。
同日、埼玉県警にて強盗殺人で逮捕された。
逮捕直前に犯行を知らされていた勤め先の会社は逮捕前日に小川氏を解雇していた。
その為、逮捕当時の肩書きは無職となっており、その後【元プロ野球選手による強盗殺人】と大きく報道された。
(HATHAの戯言より引用)
会長宅に何度も入る姿が目撃されていることやロッテ2軍選手の私物が盗難されている被害が多々あったなど、新しい情報が沢山出てくる中、小川氏がどれだけの罪を犯していたのかは不明だ。
2005年1月11日、さいたま地検は小川氏を強盗殺人罪でさいたま地方裁判所へ控訴した。
取り調べに対し犯行を認め、事件の経緯などを話し後悔と反省の弁を述べた。
六本木や銀座の高級クラブで一晩に数十万円使った現役時代が忘れられなかった
妻と子供に、元プロ野球選手の家族らしい生活をさせたかった
しかし、犯行経緯に酌量の余地はなく、犯行は冷酷非道のものとし、無期懲役が確定し千葉刑務所に収監された。
2007年知人宛てに書いた手紙には後悔の念が綴られている。
2007年頃、獄中から知人に宛てた手紙の一部抜粋(ザ!世界仰天ニュースより)